ロンドンの道を4年覚えたら、脳の記憶の部分が大きくなった?
ロンドンのタクシー運転手の訓練生を約4年追跡。街路を覚えて試験に合格した人だけ、記憶を司る海馬の後ろ側が大きくなっていた。大人の脳も後天的に変わりうることを示した縦断研究を平易に解説。
「大人になったら脳はもう変わらない」——そんなふうに思っていませんか。ところが、ロンドンのタクシー運転手をめざす人たちを約4年追いかけた研究は、大人の脳でも、使い込めば形そのものが変わりうることを示しました。しかも変化が起きたのは、街路を必死に覚えて試験に合格した人だけ。脳のなかでも「記憶を司る部分」が、実際に大きくなっていたのです。
なぜ海馬が育つの?
カギを握るのは「海馬」という、脳の奥にある小さな器官です。海馬は記憶を司る脳の部分で、とくに「どこに何があるか」という空間の記憶づくりに深く関わっています。
ロンドンのタクシー運転手の免許試験は「The Knowledge(ザ・ナレッジ)」と呼ばれ、世界でも有数の難関として知られています。約2万5千本もの入り組んだ街路と無数の目印を、地図に頼らず頭のなかに入れなければなりません。
これはまさに、空間記憶を担う海馬をとことん酷使する訓練です。研究者たちが注目したのは、脳には「使うほど形を変える力」(神経可塑性)があるのではないかという点でした。筋肉が鍛えれば太くなるように、脳も鍛えれば一部が育つのか——それを確かめようとしたのです。
何がわかったか
約4年にわたる追跡の結果、次のことが示されました。
- 対象は、平均的な知能をもつ大人の男性たち。免許取得をめざす訓練生を、訓練の前後で比較した。
- 試験に合格した人だけ、記憶を司る海馬の「後ろ側(後部)」の灰白質(神経細胞が集まる部分)が増えていた。
- 同時に、その人たちの記憶の得意・不得意のパターン(記憶プロファイル)も変化していた。
- 一方、試験に脱落した訓練生や、運転手をめざしていない対照群の人たちには、こうした脳の変化は見られなかった。
つまり、ただ時間が経ったから変わったのではありません。街路を覚えきって合格した人だけに変化が起きた。ここがこの研究の核心です。
どう調べたか
この研究の最大の強みは、同じ人を訓練の前と後で比べた「縦断研究」だという点にあります。
これまでも「タクシー運転手は海馬が大きい」という報告はありました。しかしそれだけでは、「訓練で大きくなった」のか「もともと海馬が大きい人が運転手に向いていた」のかを区別できません。先か後か、ニワトリと卵の問題が残るのです。
そこで研究チームは、まだ何も覚えていない訓練生の脳を先にスキャンし、約4年後にもう一度スキャンして比べました。さらに、合格者・脱落者・対照群という3つのグループを並べて見ることで、「合格して街路を覚えた」という出来事と脳の変化が結びつくかを確かめたのです。
ただし、ここは冷静に
胸の躍る結果ですが、注意点もあります。
まず、対象は少人数で、しかも男性が中心でした。女性や、もっと多くの人に当てはまるかは、これだけでは断言できません。
また、「もともと海馬が育ちやすい素質をもった人が、合格しやすかった」という可能性を、完全には排除しきれていません。生まれつきの素質(nature)と、後天的な訓練(nurture)の線引きは、簡単ではないのです。
それでも、同じ人の訓練前と訓練後を比べて変化をとらえたという点で、この研究は「大人の脳が後天的に変わる」ことを、これまでよりずっと強く示しています。単なる思いつきではなく、時間をかけた比較がそれを支えているのです。
それでも勇気が出るのは
この研究が私たちに教えてくれるのは、大人になっても、脳は鍛え方しだいで変えられるかもしれないということです。
しかも変化を生んだのは、薬でもサプリでもなく、「本気で何かを覚えきる」という地道な営みでした。膨大な街路を、地図に頼らず頭に叩き込む——その努力に、脳がきちんと応えていた。
新しい言語、楽器、旅先の地理、仕事の手順。何歳からでも「覚え直す」ことに意味はある。そう思えるだけで、少し前を向ける気がします。脳はコンクリートのように固まってはいません。使えば、こたえてくれる。この研究は、そんな静かな励ましをくれます。
出典:Woollett K, Maguire EA. "Acquiring 'the Knowledge' of London's layout drives structural brain changes." Curr Biol 2011;21(24):2109-14.(PubMedより/DOI)
※本記事は研究の紹介であり、医療上の助言ではありません。